◆「ラテンアメリカ・キリスト教」ネット発足記念集会挨拶
2006年10月6日(金)
日本基督教団横浜港南台教会
世話人代表 大倉一郎
ここに「ラテンアメリカ・キリスト教」ネット(略称、ラキネット)の発足の時を迎えられたことを会場の皆さんとともに喜びたいと思います。多くの方々の期待と支援が寄せられました。そしてたくさんの方々に感謝を申し上げたいのです。今日に至る動きの最初の声を上げてくださった小井沼眞樹子さんと故小井沼國光さん、その声に答えて立ち上がってくださった世話人の皆さん、世話人の呼びかけに答えて会員登録してくださった皆さん、この発足集会に参加してくださった皆さん、ネットを支援してくださる横浜港南台教会の皆さん、そして、記念講演を快諾してくださった後藤政子先生に感謝します。さらには、ブラジルでネットの誕生を喜んでくださっている友人たちがいます。佐々木治夫神父をはじめそれらの友人たちに感謝します。皆さんすべての期待と熱意と努力が今夜の「このとき」を実現しました。

ラキネットはキリスト教を基盤として生まれました。その精神的基盤にわたしたちは立ち続けるつもりです。しかし、それは公正と平和を求めるあらゆる立場の人々との友情を妨げるものではありません。世界を包むグローバルな展望における公正と平和は、あらゆる人々の参加と協力、相互の尊敬と信頼なくしては、けっして造り出すことができないからです。わたしたちはこの経験的真理に対して誠実でなければなりません。その確信にたって、いま、すべての皆さんの友情と期待と支援を大切に受けとめてスタートしたいと思います。

ラキネットの出発を大海原への航海にたとえるなら、この船出は文字通り小さな小船の船出です。しかし、今後の航海は息長く続けなくてはなりません。今日の世界は、少数者の富の独占と多数の人々の貧困の増大によって、ますます深く引き裂かれています。わたしたちは小さな者ですが、でもこの状況を変えて行きたいのです。そのために日本とラテンアメリカ双方の様々な人々、ことにラテンアメリカの貧しくされている人々と、公正と平和に寄与することのできる連帯を目指そうと思います。その志にそってお互いの友情の絆を、知恵と力を出し合って作り上げていきましょう。具体的には、一方的ではなくお互いに貢献しうる(1)交流と、(2)研究と、(3)広報という、三つの航路を確実にたどり、その波紋を広げながら進むことをめざして漕ぎ出しましょう。

この発足集会までの歩みをふり返ってみます。何回にも及ぶ活発な討論と、静かな祈りと、色々な準備がありました。しかし、皆さんに最も注目していただきたいことがあります。それは、ラキネットの原点ともいうべき事柄です。ネットの設立には、ある人々が遭遇した「生き方の方向転換」と呼びうる一つの体験が存在しました。故小井沼國光さんのブラジル宣教報告にその体験とは何であったか語られています。あるとき、國光さんは、ラテンアメリカの人々と共にこの時代にいのちを与えられながら、自分は、それらの人々と、公正と平和で結ばれてはいないということに心の痛みをもって気づいたのです。そこで彼は苦しみを負う隣人と向き合う生き方を模索し始めました。彼の気づきと方向転換の体験は、キリスト教の伝統の表現では、「回心の体験」と呼ばれるものです。しかし、どのように呼ぶにしても、大切なことは、その体験の内容そのものです。つまり、隣人と自分自身を世界の現実の中で、あるべき真実な人間同士の関係に照らして、柔らかな心で再発見した体験です。このひとりの人の体験を決して一人に終わらせない、あらゆる人に開かれている共同の体験として受けとめ、深めることが大切です。いまわたしたちは、ラキネット創立の原点ともいうべきその体験が、誰に対しても開かれていること、いつでも招かれていることを憶えたいと思います。

さらにどうしても見落とせないもう一つの原点があります。それは小井沼眞樹子さんの体験に語られています。眞樹子さんもまた、貧しい人々との出会いという回心を体験した人です。しかし、わたしが目をとめたいのは、その体験に続いて始められた行動と姿勢です。眞樹子さんはブラジルの貧しい人々と真実な友情で結ばれたいと願い、その願いを実際の形にするために行動を起こしました。先ずお互いに名前で呼び合える友だちになろうと試みたのです。先ず出会いの行動を起こされた、というその事実に注目したいのです。それこそ、ラキネットが大切にすべきもう一つのこと、つまりわたしたちの行動と姿勢とがそこに示されています。わたしたちはブラジルを始めラテンアメリカの人々とお互いを名前で呼び合える人格的な友情をネットの活動の土台に据えたいと思います。

ラキネット号の航海が進むとき、いずれ、わたしたちは自分たちがどこにいるのか、大海原の中で、いま来た航路を繰り返しふり返る機会が必要になることでしょう。そのとき、わたしたちにとって大切なのは、ネットの原点となるふたつのことです。貧しさに脅かされている隣人に心を開かれる出会いの体験、そしてその体験から、さらに真実な友情を育むような行動をとることです。それらを繰り返し根本の課題として受けとりなおし、生きた力として用いることを大切にして前進したいと思います。

ラキネットの発足までをふり返って見ると、わたしはもうひとつ、みなさんにどうしても報告したいと思ったことがあります。それは、私たち世話人はある意味において、「夢見る人」(創世記37章19節)であるかも知れないと気づいたことです。世話人の皆さんはそれぞれとてもユニークな方たちです。しかし、これらのみなさんにわたし自身を含め、誰もがみなどこか「夢見る人」のようです。世話人のみなさんは、ラテンアメリカの人々との間に、人間の尊厳と人権の検証に答えうる真実な出会いと友情を夢見ています。また、富める者と貧しい者とに引き裂かれた現代世界に痛みを感じながら、人類だけでなく地球生命圏の未来になお希望を見出す夢を持っています。さらにまた、そのための新しいグローバルな連帯の形成を、たとえ道は困難だとしてもあきらめずに夢見ているのです。

他方、わたしたちの日本社会では、多くの人々の関心は何かもっと自分のためだけのことに縛られてしまっているようです。わたしたちが抱いているような夢に関心を払う人は、けっして多くはないように見えます。しかし、わたしたちは「夢見る人」であることを、孤独で寂しいことだとは思っていません。むしろとても自由で喜ばしいことだと思っています。なぜならば、これらの夢は、貧しい人々と心から分かち合える夢、世界の亀裂を繕いうる夢、そして深い亀裂に苦しむ世界に和解をもたらす創造的な働きを育む夢だからです。このような夢によって、わたしたちの熱心と努力は支えられるでしょう。そして協力しあってラキネットの航海を続けていけるに違いないと思います。みなさん、いまわたしたちの抱くその「夢」を共に分かち合ってください。そして皆さんご自身も、「夢見る人」になってくださるように願っています。

もちろん、わたしたちは「夢見る人」でありつつ、さらに具体的な努力を重ねていかなければなりません。その意味で既に申し上げた三つの点、つまり(1)交流、(2)研究、(3)広報、について、再び若干の内容に触れて、わたしの挨拶を締めくくりたいと思います。

10 第一は交流です。ラキネットがめざす交流事業は、ラテンアメリカ観光ツアーや儀礼的訪問を目的にしません。私たちとラテンアメリカの人々との間の友情の誕生と成長をめざします。つまり、お互いが具体的な友人となるような交流事業を企画するつもりです。それらの交流を通じておたがいに人間として深く出会いたいのです。そのことは、それぞれにとって新しい自分と出会うことにもつながるでしょう。

11 第二は研究です。しかし、ラテンアメリカ専門家のための新たな学会を作ることが目的ではありません。わたしたちにとっては、翻訳も研究も、わたしたちとラテンアメリカの人々の出会いを促進し、その出会いを支えるためにする学びなのです。単に知識を蓄積するのではなく、日本のわたしたちとラテンアメリカの人々のそれぞれの闘いや暮らしに寄与するための生きた知恵を育てたいのです。交流による分かち合いの実践が先に進むならば、その体験から生きた言葉や知恵が生まれてきて、自ずと次の実践に応える研究が蓄積されるでしょう。

12 第三は広報です。ラキネットの働きを、私たちの間にとどめず、他の人々の間でも、共感され、理解され、連帯が確実に分かち合われていくものに育てたいのです。とくに次代の仲間を育てることは大きな課題です。様々な広報活動に加え、インターネット上にラキネットのホームページを開設することができました。これをとくに十分に育てたいと願っています。

13 ラテンアメリカの人、ペルーのグティエレス神父は民衆解放をめざす人々の未来を展望して、その困難さを認めつつ、「道は歩きながら作るもの」だと言っています。他方、「ぼくの前に道はない。ぼくの後に道はできる」と歌ったのは、日本の詩人高村光太郎でした。ラテンアメリカと日本、いずれの地に生きる人も、困難が待ち受ける未来に向かって歩みだす人は、自らが歩き始めなければ歩む道など存在しないと語っています。さあ、新しい道を作るべく力を合わせて、ラキネットの歩みを踏み始めましょう。

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