草の根の「解放の神学」を訪ねる
ブラジル体験の旅から
『福音と世界2005年1月号』掲載
対 談    岩井健作/渡辺英俊
聞き手   『福音と世界』編集部
なぜ、今、ブラジルなのか?
概略、どんな日程だったんでしょうか?
その旅で深く学ばれたことというのは何でしょうか?
ノルデステ(東北部)で どんなことが印象的でしたか?
地のプロポリス 最後の訪問地がフマニタスでしたか?


なぜ、今、ブラジルなのか
まずお聞きしたいのは、なぜ岩井─渡辺のコンビで、今、ブラジルなのか、ということですが。

渡辺 それですよね。私はずっと解放の神学をやってきているので、一度はその本場を訪ねてみたかった……というのが、そもそもの動機です。解放の神学は一九八〇年代に世界的に関心を呼びましたが、その後、バチカンの押さえ込みで力を失ったかのように思われている。もう過去のもので、ラテンアメリカの民衆はペンテコステ派の信仰に乗り換えたのではないかとさえ言われています。しかし、グローバル化の拡大は被収奪地域の民衆の抑圧と貧富の格差の拡大と表裏をなすもので、民衆の苦しみはますます大きくなってきている。その結果、日本などの「先進」国に移住せざるを得ない状況は以前よりひどくなっている。これは移住外国人の人権支援を十八年間やってきての実感なのです。解放の神学は民衆の闘いから生まれるコトバですから、紙の上の神学では捉えられない。地べたの神学は現地に行ってみなければ見えないんです。フィリピンは何度も行って確かめているのですが、ブラジルも、足腰が立つ間に一回行って見たかったのです。

 さいわい、サンパウロ福音教会に教団宣教師として派遣されている小井沼国光、真樹子牧師夫妻が、神学生時代にしばらくなか伝道所(当時中村橋伝道所)に出席しておられたこともあり、日本から招く人の順番に私も入れて下さっていて、今年どうかと言って下さった。年齢的にきついかと思ってためらったのですが、いっしょに行こうと言って下さる若い方がいたので、それではと腰を上げた矢先、その方が事情で行けなくなった。先方からは一人でも来いと言って下さっている。たまたま岩井健作という、相棒としてこの上ないと思える人が神奈川に移って来ておられたので、いっしょに行ってくれないかと泣きついたわけです。

岩井 僕から言えば降って湧いたような話でしたが、声をかけていただいてよかったと思っています。今度の旅での僕のテーマは「出会い」だったと思いますが、その初めは渡辺エイシュンという人との出会いだった。誘われて一晩考えましたが、せっかくの機会だからと行く決心をしました。そして思いがけないたくさんの出会いに恵まれました。

 体で実感したのは、遠い!……ということですね。地球の反対側とかラテンアメリカとか言うけれども、ロスで乗り継いで二十四時間、距離を体で感じることができました。昔ブラジル丸で移民たちが行ったとき、本当に遠かったことだろうと分かる気がしましたね。それと、情報の遠さですね。国光牧師が言っておられたことですが、南米には日本のマスメディアの支局が二つしかない。だから情報が伝わってこない。ましてキリスト教の事情などは伝わらない。解放の神学にしても、突出した部分しか伝わってこない。バチカンの弾圧で表に出にくくなった状況下では、ますますそうですからね。実際に現場に行ってみなければわからないということがよく分かりました。

渡辺 解放の神学が見事に生きているのを、実際に確かめることができたのは、私にとって大きな成果でした。

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概略、どんな日程だったんでしょうか
岩井 こんな図を書いてみました(図参照)。まず、ロスからサンパウロに入って、小井沼ご夫妻に迎えられて、サンパウロ福音教会で七月二十四日(土)の講演会(担当 渡辺)、二十五日(日)の礼拝(説教 岩井)に奉仕させていただいて、その夕方、小井沼ご夫妻の付き添いで空路サンパウロを出発しましたね。

 サンパウロ→ブラジリア(飛行機乗り継ぎ)→インペラトリスと北上。

 ブラジリアで今回の目玉の一つ、中ノ瀬重之神父(以下シゲ神父)と合流。インペラトリスから迎えのバンにギュウギュウ詰めで六時間、夜どおし走って朝、運転して下さったセバスチャン神父のパロキア(小教区)ヒアションの司祭館に着き、半日休んで午後、バウサ(Balsas)の司教区の研修センターへ。翌朝シゲ神父の聖書講座を聴講して、午後、チャーターした乗り合いタクシーでまた六時間走ってインペラトリス空港へ。その先は飛行機乗り継ぎで、インペラトリス→サンルイス→フォルタレーザ→レシーフェと、東北地方へ。サンルイスの乗り継ぎでは夜中の十二時頃着いて翌朝五時まで空港で夜明かし。神戸の大震災以来久し振りにコンクリートの床に寝ました。

 レシーフェでは真樹子牧師の友人のジャニーさんと、その友人のミルトン牧師の迎えで、隣町オリンダへ。ジャニーさんのお宅に二晩泊めていただいて、かつて教団宣教師松本敏之牧師が働いておられたアルト・ダ・ボンダーデ・メソジスト教会の集会に参加。

 ここから国光牧師はサンパウロに帰られ、真樹子牧師の案内でバスで二時間。南米大陸東端の町ジョンペソアへ。ここで私たち二人はイエズス会の予備神学校のゲストルームに泊めていただき、ここの関係者の案内でファベイラ(スラム)の中に入って住民の方々にお会いしたり、貧しい人々の地域でのカトリック教会の活動にも接することができました。

渡辺 健作さんはここで七十一歳の誕生日を迎え、イエズス会の方々に祝ってもらいましたね。

岩井 たまたまイグナチオ・ロヨラの祝日と重なって、あんな盛大な誕生日は生まれて初めてでした。それからバスでレシーフェに引き返して、空路サンパウロへ。翌日今度は国光牧師の案内でロンドリーナに飛んで、ロンドリーナで佐々木治夫神父に迎えていただいて車で一時間のサン・ジェロニモ・ダ・セーラへ。そこで佐々木神父が理事長をしておられるフマニタス慈善協会に二泊してそこの働きを見せていただき、八月五日朝、ロンドリーナまで車で送っていただいてサンパウロへ。その日の夜中にサンパウロ発でまた二十四時間、ロス経由で飛んで、八月六日は日付変更線で消えて七日成田着という日程でした。

渡辺エンジントラブルで機内に二時間閉じこめられましたから、ロスの待ち合わせを含めると合計二十六時間くらい座りっぱなしだったわけですね。

岩井 きつい日程でしたが、小井沼牧師夫妻の作っておられるヒューマン・ネットワークに添って、終始つききりで案内していただきました。

渡辺たいへんなお世話をかけましたね。

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その旅で深く学ばれたことというのは何でしょうか
○の神と△の神
岩井
 時間的順序でいうと、まずシゲ神父の聖書学習会でしょうか。この方は南山大学で学ばれて神父になってブラジルに赴任され、そこで解放の神学に出会われたのですね。解放の神学は、神学の体系があってそれが力を持っているというのじゃない。極貧の生活の中から聖書をどう読むかという、聖書の読み解きの運動ですね。シゲ神父はそこで、聖書が編集された歴史的な産物であることを踏まえながら、編集した人が権力構造の中にいたのか、あるいは人間の連帯の中に生きていたのかを問おうとしていましたね。それを単純化して、権力構造の中にいる状態をピラミッド型として「△」で表し、連帯の中にいる状態を平等型として「○」で表し、この単純な図式で聖書の資料を読み解いていく。シゲ神父自身は旧約学者ですが、このはっきりした基準での読み解きをする主体は貧しい民衆なのですね。

渡辺 シゲ神父がたずさわっておられる聖書学習運動についてちょっと触れておく必要があるでしょう。解放の神学の母体として知られている「キリスト教基礎共同体」ですが、これは人口のほとんどがカトリックであるブラジルの状況では、一つのムラ、あるいは集落がそのまま日曜に会堂で礼拝を守る基礎共同体である。そこで聖書を読み直すことが行われて解放の神学が生まれてきたわけですが、バチカンの押さえ込みで上の方は押さえられたけれども、草の根でそれが生きていて、基礎共同体を単位とした聖書学習運動が広がっている。それを進めていく機関として、サンパウロに聖書学習センターが設置されていて、シゲ神父はそこの所長であり、三十人いる指導教官の責任者として働いておられるわけですね。解放の神学の生きた根っこであるキリスト教基礎共同体が、今も生きて働いていることが分かりました。そのための信徒リーダーのトレーニングとして、今度のような聖書学習セミナーが開かれるわけです。

 真樹子牧師の話では、サンパウロでは1ヶ月泊まり込みの集中講座が年に二回行われ、ブラジル全土から参加者が集まって、神父、シスター、信徒たちがいっしょに学ぶということです。シゲ神父はそのほかにも、北部や東北部の貧しい地域で、定期的に一週間単位の講座を開き、広いブラジルを文字通り飛び回っておられるということです。この聖書学集運動はラテンアメリカの各国に広がっていて、年に一度その指導者たちが共同学習会を開いて、それぞれの体験を突き合わせながら学習をしている。こういう南の世界のダイナミックな聖書学集運動に、日本などの先進諸国が無関心でいることは大きな損失ではないかと、真樹子牧師は言っておられましたね。

 わたしたちが出席したのはバウサの司教区レベルのものでしたが、聖書を批判的に読むトレーニングの情報入れとして、シゲ神父のような専門家の働きが重要な役割を果たしているわけでしょう。

 シゲ神父はゴットワルトのもとで旧約を学んだ人ですが、批判的聖書学の目で、聖書の中に正しい部分と間違った部分があることをはっきり見分ける手がかりを提供していましたね。それによって、信徒は自分たちの生活の中から、素朴な批判の目で聖書を読む。そうすると、ここは権力的なもの、ここは民衆的なものと、一目で見分けることができる。その一つとして、聖書の「神」理解にも大きな違いがある。「○の神」と「△の神」をはっきり見分けることができるということでしたね。人びとの連帯の輪の中心にいるのが○の神。最初のイスラエルの神は権力機構の神ではなくて、人びとを平等に結ぶ神だった。各地から逃れてきた農業奴隷たちがパレスチナの山地のあちこちに寄り集まっていただけだったのが、この神を中心に連帯の絆で結ばれる。それが預言者に引き継がれる。しかし、王制の成立と共に、エジプトのファラオやパレスチナ低地の農業都市国家と同じようなピラミッド型の権力構造に変わって行く。神もピラミッドの頂点にいて支配・命令する神になり、頂点に王様がいる地上の権力構造を支える神になっていく。

 捕囚でいったんこの構造が切れ、エレミヤや第二イザヤの活動が歴史に痕跡を残すわけですが、捕囚後のエズラ、ネヘミヤの活動は、ペルシャの占領政策だったとシゲ神父は捉えていました。彼らはパレスチナの占領政策のため派遣されたペルシャの官僚だった。だからペルシャから金をもらって神殿を建て、ユダヤ教が成立していく。神殿の神は差別的な△の神ですね。それに対してイエスがふたたび○の神を取り戻して行ったという流れだった……というわけですね。  貧しい民衆の生活に根ざした聖書の読みが、鋭い批判的な聖書の読みにつながっていく。私は、八〇年代までの解放の神学には聖書の批判的な読みが欠けていると思っていたのですが、シゲ神父たちの聖書学習運動はそこをしっかりやっている。解放の神学が地についていると思いましたね。私が日本で言い続けてきたこと、つまり、荊の火の中に顕現した(栗林『荊冠の神学』)地べたの神が、天に挙げられて「万軍のヤハウェ」になってしまう神観の変質が旧約の歴史で起こっている。それがユダヤ教に引き継がれ、イエスがそれの変革をやったのに、キリスト教が同じ過ちを犯した……ということ。シゲ神父は、それを○と△という鮮明なイメージで示している。これは、民衆の闘いにとって有力な手がかりですね。○か△か……。これは神観の問題だけでなく、教会形成のあり方まで切り分けられる鋭いメスです。

岩井 そこで気がついたことは、教区の司祭も同じ学習の輪の中に入っていることですね。出席者はいろいろな所から来ている。ひとつのパロキアに信徒三万人もいて、一人の司祭が司牧している。それが司教区となるともっと大きくて端から端まで何百キロもあるという規模ですよね。ひとつひとつの基礎共同体には若い人も年寄りもいる。そういう人たちの中からリーダーがそこに出席しており、女性もたくさんいましたね。そこに神父たちもいっしょに参加しているわけですね。

渡辺バウサでは司教もいましたね。

岩井 まさに○の集まりですよね。しかし、そういうことに理解のある教区ではそれができるけれども、ヒエラルキーの側に立つ神父や司教のところではそれがむずかしい。この聖書の学び自体が闘いであり運動であるわけでしょう。だから、講義を聞くだけでなくて、あの午後から数日間、小グループに分かれて、今回はエズラ、ネヘミヤなど捕囚期以後の歴史を聖書から批判的に学ぶということでしたね。まさに○型の学習が行われる。そこまで見られなかったのは残念でした。

渡辺 わたしたちが聞いたのはシゲ神父による復習的まとめの部分だけでしたからね。シゲ神父が愉快そうに言っておられたことですが、小グループによる学習の中で、民衆の生活に根ざしてびっくりするような聖書理解が飛び出して来る。そこから学ぶことが非常に多いということでした。

岩井 聖書学の成果が実際の生活の中で聖書を読むことに生きている。日本の教会では、聖書学は使えるけれども本質的な部分に入ってきては困るという扱いではないでしょうか。神学の体系から聖書を理解するという構造になっていますから、日本の教会はヒエラルキーの教会になってしまう。そういうことをあそこで学びましたね。

渡辺 日本の教会と比べて印象的だったのは、シゲ神父が「最初のイスラエルの共同体は多民族共同体だった」という話をして、ひとこと「ブラジルみたいだね」と付け加えたらみんながどっと笑って、ストンと理解された。ブラジルの社会がいろいろな民族・人種が差別なく混じり合っているからですね。同じことを日本で言おうとしても、単一民族幻想で固められた人たちの耳には「それ何なのさ」としか響かないだろう。状況の違いで感性は開かれたり閉ざされたりするという実例だと思いました。

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ノルデステ(東北部)で
東北地方ではどんなことが印象的でしたか

渡辺 出会った人たちの印象に残った言葉にしぼって言いますと、一つはジョンペソアでパロキア司祭のシャーガス神父から解放の神学の現状について聞いたとき、「四分六だ」と言われたことでしたね。バチカンの押さえ込みで六分が支配されているが、解放の神学が根を下ろしていて四分は相変わらず頑張っているというのを聞いて、四分六だったら神奈川教区と同じだ(笑)と思いましたね。

岩井 彼の言葉で僕の印象に残ったのは、今のブラジルで火のように燃え広がっているのはペンテコステ派ですけど、その影響を受けてカトリックの中にもカリスマ運動が盛んになっている。ところが彼はそれを全面否定するのでなく、カリスマ運動が持っている大切な点を採り入れながらやっているということでしたね。彼はこんなふうに言っておられました。

 カリスマ運動が教会にもたらした利点は、一人一人の、情緒的、精神的、霊的な問題について丁寧な取り扱いをするようになったということだと思う。人々がそういう次元で非常に痛み苦しんでいるとき、解放の路線では、社会構造の罪の問題を力説するあまり、個人的なきめこまかい対応がなおざりになっていた。教会へ行くと社会問題ばかりが語られるので、人々はもっと個人的な問題の解決や癒しや慰めを求めてペンテコステ派になだれ込んでいった。カトリック教会でカリスマ運動が取り入れられてからは、個人的な信仰レベルでとても大きな成長があった。人々は自己評価を高め、自分のカリスマを発見することが出来るようになると、立ちあがって解放運動に参加する。カリスマ運動と言っても、閉鎖的な熱狂主義者ばかりを輩出しているわけではない。解放路線の社会構造志向への偏りを、少し修正するような刺激を加えたと思う。「解放の神学」にもカリスマ運動にも、どちらの側にも聖霊が働いていると自分は思う……というのですね。

渡辺 私もそれを聞いて、状況というのはそういうものかと思いました。聖霊主義で熱狂して燃え立たせられると、そのエネルギーは自分たちの貧しさから立ち上がって解放の闘いに向かう。だから一概に否定されるものじゃないということでした。もともとペンテコステ派とかカリスマ運動というものは、解放の神学を潰すためにアメリカから送り込まれたものだということは認識されていますね。けれど、だからそれはだめだと一概に言うのでなく、やってごらんなさいと、それで民衆が熱くなればそれは闘いのエネルギーになるんだと、そういうしたたかさが感じられましたね。

岩井 ブラジルのカリスマ運動の背景は、それを受容する「歌い踊る」文化的伝統と、近年は農村共同体の破壊、都市での失業、犯罪、貧困の不安があり、その心のありようを巧みに吸収した方法と人物の出現だそうです。そこに対抗する形でカトリックのカリスマ運動が起きた、とは小井沼(国光)さんの著作(『先駆ける「煉獄時代」のブラジル』2003年)から学んだところです。その貧困ですが、年間所得は日本の十分の一、持てる上位20%といちばん持たない20%の差が世界一。一説には三十三倍だとのこと。農村地域で生活できなくなった人たちが大都市や地方都市に集まって「ファベイラ」を形成する。

 たまたまわたしたちが訪れたファベイラでは、女性と子どもばかりで、男性がほとんどいない。半分ジョークで知らされたのは、男性たちは谷一つ隔てたあそこにいるというんですね。あそこと指さされたところには、刑務所の塀が見えていました。貧しさが犯罪に追いやるということと、男性たちが家族に責任を持つことができない、文化の破壊という現実がそこにありましたね。そういう男性との関係で女性たちが子どもを引き受けざるを得なくて、極貧……、聖書の〈プトーコス〉という言葉がそのまま当てはまるような生活ですね。もともとゴミの山に住んで廃品を拾っていた人たちが立ち退かされて、一部はレンガで作られた家ですけれども、大部分は斜面に丸太を組んで土を貼り付けた二坪くらいの家に住んでいました。

 そこに案内してくれたのは、わたしたちが泊まったイエズス会の予備神学校の若い神学生ですけど、実によくあの地域に入っていましたね。地域の人たちとよくつながっているし、子どもたちとも親しくなっている。今、家を追い立てられて困っているというような訴えが、訪ねた家でも出ていました。

渡辺 神学生と言っても神学教育の前段階、大学の一般教養課程に当たる段階の人たちですけど、あそこに泊めてもらったお陰で、若い修道士志願の人たちと話し合うことができました。この人たちがファベイラに入って活動しながら勉強している。あの状況で「神は愛なり」とひとこと言ったらそれはもう解放の神学ですよね。解放の神学にならざるを得ないですよ。今度の旅で印象に残った言葉の一つは、そこの神学生が言ったことです。英語のよくできる学生でしたが、第二バチカン公会議で出された「貧しい人々に向けた選択(option for the poor)」という言葉を引きながら、「option for the poorと言うけれども、イエスはno optionだった」、つまり、選択の余地なしだったと言うんですね。初めから貧しい人々といっしょにいる、あるいは貧しい人々が目の前にいるという状況では、選択の余地はない。あそこでは、解放の神学は一つの神学的選択なのではなくて、「ノー・オプション」の、ごくふつうの当たり前なんですね。

岩井 彼は獣医学をやってきた人で両親は教師だという、まあ中産階級に属する人ですけど、そういう発言をするというのは、あの貧しさを前にしては、それを抜きにして何も考えられないということでしょうね。

渡辺 良心というか、人間性が問われる。人間として素直にそこにいたらそうなるほかない、まさにno optionですね。アルト・ダ・ボンダーデ・メソジスト教会でもそうでしたね。あそこでは教会が貧しい子どもたちのために保育園をやり、市からの委託として小学校もやっている。こういう形で地域の問題に関わらざるを得ない。カトリックは住民がみな教区民だからやらざるを得ないんだけれども、プロテスタントも、教会員が抱えている地域住民の問題を教会の課題とせざるをえないわけですね。

岩井 ジョンペソアでの三日目、マンダカルー(「サボテン」という意味)地区にある真樹子牧師の友人のマリア・ガレーガさんの家で、心づくしの食事をごちそうになりました。その後、彼女の案内で地区の人びとのお宅を訪問いたしました。そこは湿地帯で、日本では想像もできないような状況でした。神父は頻繁には来られないので、彼女は献身的にその共同体のために働いている信徒リーダーです。

渡辺 その日、私は風邪で寝込み、参加できなくて残念でした。

岩井 六十七歳の女性の小さな家を訪ねました。港町で男性とのさまざまな関わりが過去にあって、子どもが六人、孫が十人、ひ孫が六人。非常に素朴な信仰をもっておられました。ほとんど何もない部屋の壁に、「我は道なり誠なり生命なり」というポスターが重みを持っていました。お年をとられていますが、お顔に内面からにじみ出た美しさがあり。思わず「お綺麗ですね」と申し上げたら、恥ずかしそうにほほえんでおられました。もう1軒、「肝っ玉母さん」の印象で心に残っている家では、以前ここで働いておられた堀江神父(現在東チモール)をみんなが慕っていて、真樹子牧師が夫妻で東チモールを訪ねて堀江神父にお会いした話をしたら、たいへん懐かしがっておられました。その様子に、思わず、イエスに心燃える弟子たちの昔を想像しました。

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地のプロポリス
最後の訪問地がフマニタスでしたか?

渡辺 そう。佐々木治夫神父というすごい人に会いました。

岩井 神父の写真は何枚も撮りました。温顔そのものですね。場所はサン・ジェロニモ・ダ・セーラ。今から三十年近く前に、この地方の教区司祭をしていた佐々木神父が、一人のハンセン病患者と出会うところから「フマニタス慈善協会」の歴史が始まるわけですね。

渡辺 公式名は「慈善協会」ですが、〈ソシエダーデ・フィラントロピカ〉(Sociedade Filantropica)ですから、今なら「博愛協会」とか「福祉協会」とか訳すところでしょう。放置されていたハンセン病患者を見て、これはいけないと手をつけられたわけですが、放置されていたことは別として、日本と違ってよかったのはブラジルには「隔離撲滅」という考え方がなかった。だからフマニタスも通院治療を原則とした診療をやられたんですね。

岩井 佐々木神父はそのために大学で社会福祉の勉強をやりなおしておられますね。日本人も含め、すぐれた医者との出会いがあって、大きな成果を挙げられました。それから、地域の貧しい家庭の子どもたちのケアに取り組まれる。学校に行けない子どもたちに勉強させ、朝食を食べさせて午後はフマニタスの農場でウサギを飼ったりして仕事を提供していましたね。br>
渡辺 印象的だったのは、初めのころ、子どもたちは朝からいらいらしてケンカばかりしていて勉強にならない。何だろうと分からなかったのだけれど、三ヶ月たったら子どもたちの体重が平均十キロ増えた。そうしたらケンカをしなくなったという話でしたね。要するに朝のご飯が食べられない。子どもたちは空き腹で来ていたので、いらいらするのは当たり前だった。空腹の子どもに教育はできないと佐々木神父は言っておられましたが、理論以前の深い現実があると思いました。

岩井 佐々木神父は浜松のご出身ですが、ブラジルでもう四十七年になるそうですね。フマニタスを始めて二十七年と言っておられました。

渡辺 ハンセン病治療を軸として、子どもたちのケア、若い女性たちの授産事業と働きを広げてこられ、そして今、「土地なき農民」(センテーハ)の土地獲得運動の支援にまで進んできておられる。「センテーハ」(sem terra)というのは英語に直訳すれば〈without land〉でしょうか。

岩井 旗をもらってきましたよ。センテーハの運動を推進しているMSTの旗ですね。赤旗の真ん中にMSTのマークが描いてあります。

渡辺 そこにMSTの正式名が書かれていますね。Movimento dos Travalhadores Rurais Sem Terra 「土地なき農業労働者の運動」でしょうか。八五年憲法により、耕作されていない土地に土地のない人たちが住み込んだ場合、政府が事実調査上買い上げて住み込んだ人たちに分配するという農地改革が行われています。制度があるだけでは動かないので、MSTは土地のほしい農民たちを組織して、集団による土地占拠を進めているわけです。

 しかし、これに対しては三つの妨害があるそうですね。第一が土地を手放したくない地主の妨害。時には私兵を使った暴力による追い出しがかけられる。第二が地主・保守勢力に買収された警察の妨害。第三は、MST以外にもブラジル全国にセンテーハの団体が種々組織され始め、中にはリーダーたちが大農場主脅迫し自分たちだけが利益を受ける団体まで現れてきているそうです。貧しいセンテーハは利用されるだけで、時にはこのリーダーたちが農場主たちと組み、政治に利用したり、一般国民に農地改革反対の機運を作ったりしているとのこと。目下、白旗グループと緑旗グループがあるそうですね。MSTは赤旗グループで、本当に農業をやりたい人たちを組織しています。

岩井 今度案内されたMSTの占拠地は、コーヒー園がつぶれて銀行に差し押さえられている土地でした。銀行は早くお金に換えたいので政府による買収そのものには異存がない。割と取りやすい土地だということです。そうであれば逆に、えせセンテーハのグループも目をつけているわけで、白旗グループが近くにキャンプをはっていて、緊迫した空気でしたね。

渡辺 だから、土地占拠闘争は少数では危ない。二百家族から四百家族の人数を揃えないと防衛がむずかしいんですね。占拠した土地が分配されたとき、二百家族分しかないことが分かっていても、三百、四百の家族を送り込む必要がある。そこで、先着順に分配して、あぶれた家族は次の占拠地で優先的に配分を受けるという約束で支援に入る。順繰りに転がしていくわけですが、相当組織化されていないとなかなかできないことで、MSTはそれをやっている。佐々木神父はその人たちに絶大な信頼を得ていましたね。

 もうひとつは、テントを張ってキャンプしながら政府と交渉する期間が少なくとも半年、長ければ二年以上かかるのだそうですが、困難な期間であると同時に、大切な期間だと佐々木神父は言っておられました。出エジプト伝説の「荒野の四十年」に当たると。生活維持の問題、苦情処理の問題、子どもたちの教育の問題などなど、次々に問題が出てくる。団結しないと潰れてしまう。しかしそれをみんなで協力して解決していくことを通して共同体形成ができる。神父がそこに入ってミサを立てるということが、人びとにとって大きな心の支えになる。問題解決にも物心両面で支援ができる。信仰が力であることがリクツでなく証される場面ですね。

岩井 その問題解決過程で、会議で相談していくわけですが、会議を構成する代表者には必ず男女一人ずつが選出される仕組みになっているそうです。

 土地占拠の段階だけでなく、土地の分配を受けてからも問題は多いのですね。家を建てるために三千ヘアイス(約十万円)くらいの援助が政府から出るのだそうですが、それが来るまでは掘っ立て小屋のような家で暮らしている。援助だけでは材料のレンガくらいしか買えないので、みんなの協力で建てるのだそうです。

 もうひとつに農業技術の問題がある。もともとが農業労働者で、個々の作業について部分的に習熟していても、農業経営にはまったく知識がない。そこで、佐々木神父は中学レベルの農業学校を建てて、土地取得農民の子どもたちに農業技術を教えるこころみをしておられました。一週間学校に泊まり込んで勉強する。あとの一週間は家でそれを実践する。五十人ずつ二組を回転させるというシステムをとっていました。たとえば堆肥を作って肥料に使う農業ということ自体、コーヒー園のような収奪農法の経験しかない大人たちは頭が固くて、新しい技術についていけないけれども、子どもたちは柔軟な頭で吸収できる。それを家に持ち帰って実験しながら学校で学ぶというやり方は的を射ていますね。将来的に高校レベルに持っていきたいと言っておられましたが、優れた着眼だと思いました。

渡辺 センテーハの運動の全過程に渡って支援が行われていることが実に印象的でしたね。教会というものはここまでやれるんだという励ましでもありました。

岩井 土地を占拠してキャンプを張って住み込んだ段階、土地の配分を受けて住宅資金を待っている段階、農業経営が落ち着いた段階など、さまざまな段階のところを見せてもらうことができましたが、その段階のそれぞれで、佐々木神父のプロジェクトが深く関わっていましたね。

 そして、そういうプロジェクトの資金を支えているのが、プロポリスなのですね。農場の事業の一つとして養蜂をやったところ、プロポリスがとれた。これは蜂が巣を守るために隙間をヤニで埋める習性があるのを利用して、巣箱にわざと隙間を作ってヤニを集めさせる。この蜂ヤニを半年がかりでアルコールに溶かしたものがプロポリス液、特殊加工で粉末化し、カプセルに入れたものがプロポリス錠。これが人体の免疫を高める作用をもっていて、健康増進やガンの予防・治療に効く。僕の知人はガンにかかってプロポリスで命を支えられています。フマニタスでは、当初はハンセン病患者や貧しい人たちに無料で分けて喜ばれていたものが、希望者が増えて販売するようになった。日本では、これがとてつもない高値で市販されているので、直販方式で安く提供したのが成功したのですね。農民に技術指導して良質の原料を生産してもらい、業者の買い付け価格よりも数倍高く買い取る。専用の「プロポリスの家」で製品にするので、日本で販売すればフマニタスにも利益があり、それを社会事業や教育、農民支援の運動に還元できるわけですね。

渡辺 私は数年前、小井沼夫妻のおみやげでいただいて以来、フマニタスのプロポリスを愛用しているんです。私の活力源は、祈りと聖霊とプロポリスと言っています。@利用者に格安で手に入る、A生産農家に利益を配分できる、Bフマニタスの事業を支援できる、という三重の効果があることを今度の訪問で確かめました。

 センテーハ支援の副産物として、地主から政府が買い取ったファゼンダ(大農場)跡に地主の家が残っている。それを政府から借りてアルコール依存症の回復施設をやっていました。私は寿でアルコール依存症者のデイケアセンターに関わっていますが、うらやましいような、大自然の中の農場付きの立派な家ですね。あそこに住んで農作業やレクやミーティングをやったら、回復も早いだろうと思いました。老人ホームの支援もやっていましたね。その資金がプロポリスの利益で支えられているんです。

岩井 あそこには希望がありますね。

渡辺 教会は地の塩であるはずですが、佐々木神父の働きを見ていると、教会は「地のプロポリス」だと思いました。

岩井 それにしても、小井沼夫妻がサンパウロ福音教会を拠点にして作っておられるネットワークは、日本の教会にとって貴重だと思いました。若い人たちがぜひこれを活用して、日本にないブラジルの豊かさを学んでほしいと思いました。

ここだけではとても語りきれないご経験をなさったことがよくわかりました。どうもありがとうございました。
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