小さな架け橋として

岩井さん&渡辺さんの
「草の根の『解放の神学』を訪ねる」の随伴者としての報告記
「サンパウロ通信18号」(2004年12月)掲載
小井沼眞樹子
1.巡り遭い、響き合う
2.ノルデステへ
3.基礎共同体の状況
ノルデステからサンパウロに戻って


1巡り遭い、響き合う
たった二週間しか日程が取れないという超多忙な渡辺英俊牧師と岩井健作牧師をお迎えし、「解放の神学のいま」を知るべく、広大なブラジルをどのようにご案内したらよいか。これがこの七月、私に与えられた大きな課題でした。けれど、今年の出会いの旅には、これまで以上に大きな期待と希望で熱く燃えるものを心の中に感じていました。まず思ったのは「シゲ神父の聖書学習運動に賭ける情熱に触れていただきたい」ということ。ちょうど七月末に北部マラニョン州のバウサで行われる一週間の聖書講座に参加すべく、神父と一緒に出掛けました。たった初日だけを体験するために、私たちが辿った道程は遠大で、想像以上に強行軍となりました。とにかく、現地に辿りつくまでと、そこから次の目的地レシーフェまでの空と陸の連絡の悪いこと!お陰でブラジル在住十数年来初めて、広大な草原の中を車でひた走りながら地平線に沈む日没の美しさを目の当たりにするという感動を味わうことになりました。しかし、遠路はるばるやってきて半日体験したセミナーは、百回聞いても理解できなかったであろうことを、見て、識る貴重な体験となったようです。それは、エイシュン先生ならではの探求と、この半日のシゲ神父の講座の中味とがぴたっと一致した感動の時間であったと言ってもよい手応えでした。先生は日本で長く外国人移住労働者の支援活動をされ、貧しい人々の視点から聖書を読み直しながら実際に横浜の寿町という寄せ場で生きておられます。シゲ神父のポルトガル語は日本人には分かりやすく、私でも通訳でき、必要な時には説明を加えました。エイシュン先生は「ブラジルの風が吹いた!」と大層喜ばれ、私はここまでお連れした甲斐があったと嬉しく思いました。束の間の談話の中で発見したこと。一九八六年にエイシュン先生は解放の神学を学ぶために初めてフィリピンへ留学。同年、シゲ神父は神言会の中に聖書学習センターを設置するため、要請を受けて、ブラジルからアメリカのマンハッタンへ。旧約学者ゴットワルト教授のもとで博士論文を書いたのです。そして、その同じ年に、私たち小井沼一家は初めてブラジルへ服部セイコーの駐在員として赴任したのでした。こうして同じ年に見えない神のみ手に動かされて国を出立した私たちが、そこから新しい道を歩き始め、それぞれの場でそれぞれの固有性を生きてきて、十八年後に、マラニョンの田舎町で出遭い、響き合う対話をしている…面白いなァと思いました。

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2.ノルデステへ
次の目的地は北東部(ノルデステ)。レシーフェはかつてヘルデル・カマラ大司教を中心に解放の神学が発祥した地です。隣接するオリンダはユネスコ指定の美しい歴史都市ですが、そこの貧しい地区アルト・ダ・ボンダーデのメソジスト教会を訪問。教会員の生活の状況、その人々に仕えている教会の活動を知ることが目的でした。友人ジャニの亡き夫はアメリカ人宣教師でしたから、彼女は英語が話せます。それを当てにしてアパートに四人ともお世話になり、日本の牧師方も話ができ、また久しぶりにお湯のシャワーが使えてホッとしました。一昨年、私たちにベッドとマットレスを提供し自分は寝袋に寝ていたイヴァン牧師は結婚。一歳になる男の子もいっしょにあの同じアパートでそれなりに家財道具も揃って幸せそうな生活を営んでいました。貧しい地区で生活を続けることは容易ではないと想像しますが、若い牧師夫妻の明るく優しい心遣いと、信仰に根ざした生活力にとても感じ入り、その地区に共に居るということの大切さを教えられる思いでした。私たちと同行してくれた神学生の家庭には誰にも収入がなく、障がい者の姉に支給される国からの僅かな援助金に家族全部が頼って生活していると言います。ジャニの話によれば教会員の家庭は皆似たり寄ったりで、失業者ばかり。どうやって生きていくか希望を与えるのは難しいが、信仰共同体を形成することによってかろうじて支えられているとのこと。この地区のメソジスト教会もカトリックとのエキュメニカルな聖書学習をずっと続けているとのことでした。私たちの支援者が送ってくださる新品の作業用シャツ、ダンボール一箱と老眼鏡数十個を届けました。こんな形でしか連帯を表現できないのですが、日本からの物はいつも喜ばれます。ここで、國光は聖日礼拝の奉仕のために一人サンパウロに戻り、私はバスでお二人をジョン・ペソアにご案内しました。

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3.基礎共同体の状況
今度はカトリックの基礎共同体の民衆との具体的な出会いと交わりを体験し、その地で奉仕しているイエズス会の神父たちや神学生たちと対話する機会を持つことによって、現在の神学的状況に触れることが目的です。一昨年の訪問で知り合ったロベルト神父が英語を流暢に話しておられたことを初めから当てにして、この地区の教区司祭シャーガス神父との面談を申し込んでありました。ロベルト神父の英語による通訳で、ノルデステにおけるカトリック教会の今日的状況について有意義な対話が実現したのです。残念ながら私の語学力ではこのような内容の対話はとても通訳できず、エイシュン先生とロベルト神父の英語力が功を奏したと言えましょう。天の配剤というべきか! 「カトリック教会でもカリスマ運動が盛んになって以来、人々はむしろ積極的に教会に参加するようになっている。初期の解放の神学では社会的構造論に傾き、個々の信徒の個人的、心理的、霊的問題に対するアプローチが手薄になる傾向があった。それがカリスマ運動の導入によって調整され、人々は霊的な成長と共に自分のカリスマを発見すると、立ち上がって社会運動に参加していく者もいる。解放の路線にもカリスマ運動にも、どちらの側にも聖霊が働いていると自分は思う」とシャーガス神父は語っておられました。この発言に私はとても共感を覚えました。私自身は、解放の神学に大きく影響されましたが、やはり女性として育児や介護の生活体験から、個人的介護(ケア)の視点も必要だと感じていましたから。パードレ・ゼー地区で奉仕しているファブリシオという神学生がどうしても案内したいところがあると言って、私たちを連れて行った所は、「ノーバ・エスペランサ(新しい希望)」という名の団地でした。かつてジョアン・ペソアのゴミ処理場の中で生活していた人々に、そこが廃止になる際に政府がその共同住宅を建て、あてがったのだと言います。しかし、そこの状況は人間の住まいとして殆ど最低のレベルの住環境ではないかと思いました。大勢の子供たちが珍しい日本人の訪問客に裸足でついてきました。満足な教育的活動もないままに育つ子供たちは悪戯が激しく、内部の公共施設は修理してもすぐに壊されてしまうのだとファブリシオは嘆きます。彼は週に一度この地区の住人と小さな聖書の集いを持っていますが、親と一緒についてくる幼児以外はそこには子供を入れないとのこと。その日は十数人の女性たちが集まっていました。私たちの前でみなとても恥ずかしそう、いつもより発言も少ないようでした。集会の終わりに三人で日本の讃美歌「主の食卓を囲み」を歌いました。心をこめて「マラナタ(主よ、来てください)」と。彼女たちもその部分は声を合わせて歌いました。後になって、四年前に秋吉牧師が貧しい地区の共同体の人々に「貧しいことは恥ずかしいことではありません。恥ずかしいのは人間の心を失うことです」と語られた言葉を思い出し、そう言ってあげれば良かったと後悔しました。この団地もひどい環境だと思いましたが、すぐその隣りに団地からあぶれた人たちが住んでいるファベーラ(スラム)があり、そこはもっと悲惨な状況でした。今でも、彼女たちを覚え、自分の無力を恥じながら神様のお守りをひたすら祈り続けています。このような苦しみの状況が、解放の神学を生み出した土壌だと改めて認識させられます。勇気づけられたのは、ポルト・ド・トータ共同体を訪問した際、以前は病気で苦しんでいたエヴァニウダさんが、とても元気そうになり、ミシンかけの仕事もまた細々続けているという話でした。神様は貧しい人々を決して見捨てられないという証しを見て嬉しくなりました。信徒リーダーのマリア・ガレーガさんも元気で活躍していました。ロベルト神父も交えて私たちを昼食に招待してくださり、ご馳走の並ぶ食卓で「家は小さいけれど、心は大きいの。だから、いつでもまたお客さんを連れてきてちょうだい」と繰り返し言ってくださいました。先生方はイエズス会の神学校に泊めていただきましたが、私はいつものようにマルーシさんのお宅に宿泊し、車の便はマルーシさんの娘さんが奉仕してくださり、住宅街の信徒も連帯の輪に加わって大切な役割を担ってくださいました。

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ノルデステからサンパウロに戻って来てやはりホッとし、ブラジルの中での貧富の差を改めて実感。私たち先進国の人間には担うべき役割が確かにあるけれど、貧しくなりきれない限界も感じさせられます。その翌日から國光がお二人をパラナ州の佐々木神父の働きの現場へとご案内し、そこでまたとても有意義な出会いと交流をされたようです。その日、私はシャロームの後期の活動を再開しました。今回の旅行で、岩井健作先生とは初めてお交わり頂き、短い日程でしたが豊かな体験を共有できて、一挙に親しくなれたような…先生のお人柄と牧会的配慮に接し、終始、快い旅路でした。エイシュン先生は行く先々で短歌を詠み、岩井先生はスケッチに余念がなく、私は例によってヴァイオリンを弾き、そんな意味でも豊かな旅行でした。最後に、去年から両腕の筋力が失われていく症状が出ていた國光は、重い物が持てないながらも同伴して、道中、先生方と経済や歴史の話をしてくれ、私は大層心強く思い、助けられました。私自身は小さな存在ですが、大切な使命を負って活動しておられる先生方の出会いの架け橋となれたことは大きな喜びでした。國光は難病の可能性が色濃くなり、いま検査中です。どうぞお祈りください。

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